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十七  カイファの前のイエズス


 荒れ狂う罵倒の叫びのうちに主は広場にひき入れられた。不気味なつぶやきと、押さえられていた憤怒のささやきが主を迎えた。一行は左の扉から入って来て裁判官席の方に向かった。主がペトロとヨハネの前を通り過ぎる時、愛情深く一瞥された。主はかれらが見破られないように御頭はお向けにならなかった。イエズスが柱のならびたった所を通り抜けて議員の前に連れ出されるか出される中に、カイファは怒鳴った。「来たな、貴様!この神聖な夜を台無しにした冒涜者めが!」アンナの告訴状の入っているひょうたんが棒から取りはずされた。カイファはその告訴状を読み終わると、主に対し罵倒と非難をたて続けに爆発させた。主のそばにいた獄吏や兵卒らが主をさんざんにこずきまわしながら怒鳴りたてた。「返事をしろ!口をひらけ、貴様はしゃべることはできんのか。」カイファはアンナよりもさらに腹を立て、主に対し激しく質問を浴びせかけたが、主はカイファを見ずにただ静かにうつむいておられた。獄吏たちは主にどうしても話させようとして背中や横腹をたたき、手をなぐりつけたりして傷を負わせてしまった。次いで証人の言葉を聞くことになったが、それはただ買収された下劣な民衆の荒れ狂った叫びや、狂乱に過ぎなかった。かれらは国中のファリザイ派や、サドカイ派に属する主の敵たちが、いつも主に対して言っていたことをしゃべり立てた。主の言葉やたとえはみな無理に曲げて解釈していた。しかも証言はおたがいに相反し矛盾だらけだった。一人が「あいつは自分を王だと言った。」と言うと他の者が「いや、そうじゃあない。あいつはただそう言わせただけだ。みながあいつをかつぎだそうとした時、あいつは逃げ出してしまったぞ。」次に一人が「こいつは自分を神の子だとぬかした。」と叫ぶと他の者が反対して「いや違う。そいつは父の意志を実行するから子であるといっただけだ。」と反対する。二、三の者が「こいつは、おれの病気を癒したが、あとからまた病気になってしまった。こいつは魔法で癒すだけだ。」と言った。また主がかつて弟子にしなかったあのナザレトの若者は、わざわざここまで出かけてきて、イエズスに反対の証言をするほど卑劣きわまりなかった。

 しかし、かれらは主に対して法的に根拠のある訴えをすることはできなかった。証人どもは事実の証明より嘲りをこととした。かれらはおたがいに激しく言い争い、また、その合間に、カイファや議員も怒鳴り罵り騒いだ。「貴様は一体どんな王だと言うのだ。貴様の力を表して見せろ。貴様がオリーブの園で言った天使の軍団を呼び寄せて見よ。おまえは寡婦や馬鹿者の金をどこへ持って行ったのだ。全財産を使い果たして結局どうなったんだ。返事をしろ。話せ。裁判官の前で、今こそしゃべらなければならぬのに、貴様は黙っているのか。賤民や下らぬ女どもの前でこそ黙っている方がどれだけよいかわからぬのに、余計なおしゃべりばかりして!」こんな調子でかれらは主を罵倒していた。

 しかもただ罵倒するだけでなく、たえず主に乱暴をしかけていた。法廷の小使いはこうして救世主に語らせようとした。主の命がこれらの拷問に耐え得るよう、神は特別にそれを支えねばならなかった。

 二、三の者はさらに主が、今日過越しの羊をもはや食べてしまったことや、すでに去年正規の方法に従って、それを行わなかったと非難した。それについても大勢の者がおたがいに言い争った。しかし証人どもがまちまちになってしまったので、カイファと全議員たちは苦々しく思った。かつ、つかみ所が全然ないので恥をかくばかりである。ニコデモとアリマテアのヨゼフはイエズスがシオンの山のかれらの家で過越しの食事をしたので、その釈明を求められた。二人は、大祭司の前に進み出て、ガリラヤ人は過越しの羊を一日早く食べることができると言うことを律法から証明し、またこの祭式の重要な習慣は注意深く守られていたばかりでなく、神殿の人たちさえ参加していたと述べた。証人たちは大いに狼狽した。殊に、ニコデモがガリラヤ人の権利を証明するために律法を持ち出したことは一同を甚だ憤慨させた。

 ニコデモは証人らの余りにもはっきりした矛盾撞着を、大衆の前にさらされたのは議員の恥と言い、特に神聖な祭日の前夜に突風的な速さで、しかもかように一人よがりな偏見をもって集会を召集したことを非難した。ニコデモのこの言葉にかれらは憤怒しつつ、ニコデモをにらみつけ。恥ずべき証人審問をもっとせき込み、ますますずうずうしく続けた。こうして多くの卑劣なうそだらけの矛盾した発言の後、二人の者が進み出て申し立てた。「イエズスの言葉に、人手で建てられた神殿をこわし、人手によらない神殿を三日の内に建てるということがあった」と。しかしこの二人はまた喧嘩を始めてしまった。一人は主張した。「イエズスは新しい神殿を建てようとしたのだ。だからかれは違った過越し祭を他の建物で祝ったのだ。かれは実際に古い神殿を取り壊そうとするつもりだったんだ。」すると他の一人が「その建物は人の手で建てたものだからかれはそれを指していたのではない。」と反対した。

 カイファは歯ぎしりした。証人の矛盾した言葉、主に加えられている無法な仕打ち。それを驚くべき無言の忍耐をもって、耐えておられる主のすがた、それらのことが、居合わせた人々に非常にいやな印象を与えてしまったからである。証人たちは何回か笑われそうになった。イエズスの沈黙は多くの者の良心に、不思議なものを感じさせた。それでカイファは席から立ち上がり、二、三歩イエズスの方に歩み寄って尋ねた。「おまえはこれらの証言に対して何も答えないのか。」しかしイエズスはかれの方を見もされなかったので、かれはすっかり腹を立ててしまった。奴隷は主の髪をつかんで頭をうしろに引き起こし顎を拳で殴り上げた。しかし主の眼はなお下を向いておられた。カイファは激しく手を振り上げて激怒した。「わたしは生ける神によっておまえに命ずる。おまえはキリストか。救い主か。祝すべき神の子か。答えろ」

 すると騒ぎはたちまち水を打ったように静まり返った。イエズスは名状すべからざる権威、あらゆるものの感動を呼び起こす声、永遠のみ言葉の声をもって仰せられた。「わたしがそれである。あなたはそれを言った。なおわたしはあなたがたに言う。ほどなくあなたがたは人の子が神の権威の右に座し、天の雲に乗ってくるのを見るだろう。」

 こう主が仰せられている間、わたしはイエズスが光り輝き、その上の天が開け、その中に言葉に言い尽くし得ない、いと高き神なる全能のおん父を見た。わたしはその時、天使も見た。またあらゆる義人の祈りも聞いた。それはイエズスのために叫び願うごとくであった。しかしカイファの下には地獄全体が口を開け、妖怪が混じった火の一団となってうごめいていた。カイファはわずかに薄い喪章の布のようなものを隔ててその上に立っていた。

 わたしはカイファが地獄の憤怒で煮えくりかえっているのを見た。主が生ける神の子キリストであると宣言された時、地獄は主の前に驚愕し俄然主に対する憤りをこの館の中に立ちのぼらせた。すべてがわたしに幻影を通じて示されたが、地獄の恐怖と憤りも数限りない妖怪の姿をとって地上の多くの場所から飛び出して来たのを見た。その中に混じって、長い爪のある短い前足を持ち立って駈けて行く、犬のような小さい黒い妖怪の大群を見たことをわたしは覚えている。しかしそれがどんな種類の悪を示していたのかもはや覚えていない。わたしはただ妖怪を見たということだけを覚えている。その恐るべき姿がそこにいた者の大部分の中に、もぐり込み、あるいは頭や肩に座ったのを見た。集まりはこの妖怪で満ち満ち、悪人たちの怒りはそのためにますます強くなった。またちょうどその時シオンの山のかなたの二つ三つの墓から醜悪な姿をしたものが飛び出してきた。それはたしかに悪霊だったと思う。近くからもまた地中からもたくさんの霊が立ちのぼるのを見た。その中にはかせをひきずっている囚人のような者が何人かいた。この霊は悪霊なのか、あるいはそれまで地上のある所につながれていて、主の死によって開かれる煉獄にいく霊魂であるのかわたしにはわからなかった。かようなことは決して完全に言い現すことができるものではない。何も知らない者につまずきを与えたくないものだ。しかしこの光景をもし見たら身の毛もよだたずにはいられない。実際、この瞬間異様に凄惨なものを感じさせられた。わたしはヨハネもこのことを後になって語っているから、何か見たに違いないと思う。少なくともまったく滅びたものでない限り、みな、この瞬間ふるい、おののき、恐るべき事柄を感じ取った。悪人たちは恐怖を、憤怒に燃え上がることによってもみけそうとした。

 カイファは地獄からヤンヤともてはやされた人間のごとくなった。そしてその豪華なマントの房をつかみ、ぴりっと音をたてて引き裂きながら大声で怒鳴った。「神を冒涜した。これ以上、何の証拠が要るか。さあみんな神の冒涜を聞いたじゃないか。諸君は一体どう思うか!」その時全出席者は立ち上がり恐るべき声で叫んだ。「そいつは死に値する!そいつは死に値する!」

 かれらがかく叫んでいる時、館の中の地獄の闇の熱狂は最高潮に達した。イエズスの敵たち、そのおべっか使い、そのへつろう下僕どもはみな一様に悪魔に酔わされた者のようになった。それはあたかも暗黒が光明の勝利の叫びを挙げるかのようであった。よい心をちょっぴりでも持ち合わせた者は、みなその頭をおおいこっそり逃げ出さずにはいられぬほどの恐怖がおそいかかった。また証人らの中の上流社会に属していた者は、もはや用がなくなったので、良心の呵責を感じながら法廷を立ち去った。一方、一般の者たちは中庭の火のまわりにうろうろしていた。そこで金が支払われるとかれらは直ちに浪費してしまった。

 「さあ、この王さまをおまえたちに渡してやる。神の冒涜者に敬意を表せ!」と大祭司は下僕たちに言い渡してから。議員たちとそこからは見えぬ後方の円形の広間に行った。

 ヨハネは深い悲しみのうちに聖母のことを考えていた。かれはこの悲しい知らせが、敵たちによって聖母に、お気持ちをひどく傷つけるような方法でもたらされはしないかと恐れた。そしてもう一度聖なるものうちで最も聖なる方にまなざしを向けて考えた。「師よ、なぜわたしがここを去って行くか、ご存じですね」と。そしてあたかもイエズスご自身かれを送り返したかのように法廷を出て聖母の所に急いだ。

 一方ペトロは恐怖と悲痛に、すっかり正気を失っていた。そして疲れていたので、白み行く明け方の冷気をいっそう鋭く身に感じた。絶望的な悲しみをできるだけこらえながら、多くのならず者がひしめき合っている中庭の火のある所におずおずと近寄っていった。かれ自身何をやっているのかわからなかった。かれは主を置き去りにすることはできなかった。




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